藪内佐斗司「ほとけの顔もなんとやら 造られた地域で変わる仏像の顔」

第2回「顔と心と体セミナー」講演録

2021年1月30日

参加者:50名(会場5名、オンライン42名、後日DVD視聴3名)(1級資格者4名、3級資格者10名、4級資格者7名、当会正会員18名、学生8名、一般2名、顧問1名)

【経歴】

1953年、大阪市に生まれる。

東京藝術大学大学院美術研究科修了。

同大学院保存修復研究室で、仏像の古典技法と保存修復の研究に従事した経験をもとに、檜・漆・顔料などを素材とする独自の制作技法を開発し、自然観や仏教的世界観を「童子」というキャラクターで表現している彫刻家。

2004年からは、東京藝術大学大学院文化財保存学の教授として、文化財保護の人材育成と仏像修復に携わっている。

【講演録】

<注:読者の皆様へ>

 籔内先生のご講演では、数多くの仏像や絵画、人の顔の写真が使われました。著作権や肖像権の関係で、ここに掲載することができません。以下の講演録は、画像なしではなかなか内容がつかみにくいと思いますが、例えば「聖母マリア ラファエロ」「ガンダーラ仏」「龍門石窟 廬舎那仏」などのキーワードでネット検索していただき、画像を見ながら読み進めていただければより理解が深まるかと思います。お手数ですがよろしくお願いします。

ーはじめにー

 ただいまご紹介いただきました彫刻家の籔内佐斗司です。東京藝術大学にも勤めております。まず私の簡単な自己紹介です。このような作品を作っております(図1・図2)。私に似ていると言われています。奈良県の平城遷都1300年祭の公式キャラクター「せんとくん」も作りました(図3)。これはその後奈良県のマスコットキャラクターになりました。奈良県庁前にも像がありますが(図4)、これも「自画像か?」と言われております。

 そこで、本日の演題では、彫刻や絵画は作った人の顔に似るという法則を実証するということでお話を進めていきます。

 

図4 藪内先生とせんとくん


図1 五月童子

図2 桃太郎白刃取り

図3 せんとくん


1.聖母マリアとイエス・キリスト

 まず、聖母マリアです。ラファエロをはじめ多くの画家が描いていますが、そのお顔はどれも鼻筋が通って非常な美人に描かれています。白人のお顔です。その子イエス・キリストが描かれるときも白人の顔をしています。ダ・ビンチの『最後の晩餐』を見るとキリストをはじめ12使徒のすべてが白人の顔をしていますが、ユダだけが違うように描かれています。絵画で見るとキリストは白人のようですが、実際のキリストはユダヤ人(ヘブライ人)です。セム語(アラビア語)を基にしたヘブライ語を話します。旧約聖書に登場する最初の預言者アブラハムの正妻でサラという人が90歳のとき(すごい高齢出産ですが)、神の啓示で生まれたイサク(アイザック)を祖とするのがユダヤ人です。

 ところで、アラブ人というのは同じようにセム語(アラビア語)を話す人々の総体をいい、前述の預言者アブラハムが正妻サラの召使いのハガルに産ませたイシュマエルを祖とします。従って、旧約聖書によれば、ユダヤ人とアラブ人は祖を同じくする民族ということになります。アラブ人はアラブ首長国連邦、シリア、イラク、エジプト、クウェート、サウジアラビア、パレスチナなどに住んでいます。宗教はイスラム教、黒い瞳、黒い髪、肌色は褐色です。

中東地域には、これらの民族以外にトルコ人(テュルク系民族)、イラン人(アーリア系民族)という別系統の民族も住んでいます。

 では、ユダヤ人であるキリストはどんな顔をしていたのでしょうか?キリストが生まれた紀元前後のユダヤ人男性の頭蓋骨は多く発掘されており、それを基に解剖学的に復元したり、IT技術で復元したりすると、欧米の白人が描いた白人顔のキリストとは大分違う顔ができあがります。サダム・フセインに似ているか?というような顔です。

2.地域特性と仏像の顔

 この例で明らかなように、人類が生み出す芸術作品は、地域特性によって大きく変わります。地域特性は、自然環境と人間環境に分けて考えられます。自然環境とは、暑いか寒いか、湿潤か乾燥か、低地か高地か、内陸か沿岸か、樹木が多いか、石材や鉱物資源が多いかというような要素から成り立っています。人間環境とは、人種的特性、髪・瞳・肌の色、体形など、また多民族か単一民族か、文化に影響する風俗・習慣・嗜好などのことをいいます。

 仏像の一つの大きな特徴は、鼻梁が通っていることです。紀元前1世紀頃にガンダーラ地方で作られたお釈迦様の像を見るとはっきりとわかります。これは『ミロのビーナス』などに代表されるギリシア彫刻と共通しており、この時期に作られたガンダーラ仏はギリシア彫刻の影響を受けたのだと言われています。

中国の唐の時代に作られた龍門石窟の廬舎那仏は、全体として東アジア系の顔をしていますが、鼻筋は通っています。これは日本人や中国人の特徴と大きく違います。我々は前額部から鼻梁にかけて鼻根部がへこんでいます。日本の奈良の岡寺の如意輪観音像は、唐代の仏像とよく似ていますが、日本の白鳳時代(7世紀半ばから8世紀初め頃)の作と伝えられており、顔貌全体はモンゴロイド(黄色人種)系の顔ですが、やはり鼻筋は通っています。同じく白鳳時代の作と言われる旧山田寺の仏頭や室生寺の釈迦如来像(9世紀)も同じです。つまり、これらの仏像を作った中国や日本の仏師達は、仏像というお釈迦様の姿を外国人として描いている、はるかかなたの天竺の人であるとして作っているのです。現代でも仏像が作られ、私も作りますが、そのときは「決まり事」として鼻筋を通しています。

 地域特性による仏像の顔の特徴を詳しく見ていきましょう。

① インド

 インドの自然環境の特徴は、非常に暑いということ、乾季と雨季が明瞭であり、低地から高地まで地形が多様で、石材や鉱物資源が多く、森林は少ないです。人間環境は、多民族で、世界四大文明の一つであるインダス文明を作ったドラヴィダ人という先住民族と北西部から移住してきたアーリア人がいます。農耕と牧畜の文化があります。

 仏像が発祥した地域はインド北西部のガンダーラ(現在はパキスタンに属しています)で、この地域の仏像は、アーリア人の特性が強く、ヘレニズム(ギリシア・ローマ)文化の影響を受けているので、鼻梁が高く、頭髪はなめらかなウエーブがかかっており、寒冷地であるために両肩を覆う衣装を纏っているものが多いです。

 他方、ドラヴィダ人の居住地域であるインド中西部のマトゥラーでも仏像が作られています。ドラヴィダ人はアーリア人に比べて鼻梁が低く、頭髪は縮毛です。仏像は、巻貝のように髪を巻き上げています。これが現在の仏像の螺髪になったのではないかと考えられています。顔はガンダーラ仏に比べるとのっぺりして、目もくっきりしていません。気温が高い地域なので、仏像も裸または半裸の像が多いです。

② 北伝仏教の地域

 仏教はガンダーラから北西に向かって普及していきます。現在のアフガニスタンやイランあたりの地域です。この地域の自然環境としては、砂漠で荒涼として、暑いが昼夜の寒暖差が大きく、気候は乾燥していて、樹木が少なく石材が多い地域です。人間環境としては、アーリア人(古代イラン人)が多く、アヴェスターというアーリア人の宗教を信仰していました。イラン人(ペルシャ人)の顔は鼻筋が通り、目がぱっちりしています。ペルシャ人はシルクロードの担い手です。ローマからインド、中国を繋いで交易を行いました。中国人はペルシャ人の顔つきを「紫髭碧眼」(紫色の髭と緑色の目)と表現し、ペルシャ人のことを「胡人」と呼びました。中国の江南地方の伎楽面にペルシャ人を表現した「胡酔従」(酔っぱらったペルシャ人の従者)というのがありますが、その特徴は鼻が大きく目も大きいこと。中国人はペルシャ人の特徴をこのように捉えていたということが分かります。このペルシャで作られていた仏像はというと、鼻筋が通り、目がくっきりして、彫りの深い顔立ちをしています。イラン人にそっくりと言えます。

 中国の西域といわれる地域-シルクロードの国々-を見てみましょう。パミール高原の東西にまたがる地域です。西側の中央アジアにはソグド人といわれる民族がいました。鼻の大きなごつい顔をしていますが、アーリア系の顔です。これがトルコ系の民族テュルク人に徐々に浸食されていきます。パミール高原の東西に広がるトルキスタン、中国との境にあたる新疆ウイグル地区、トルファン、キジル、ロウランという地域にテュルク人が広がっていきます。そこから南へ下がるとヒマラヤ山脈にあたりますが、その西蔵(タングート)という地域に住んでいたのがチベット人です。整った顔だちをしています。

 ソグド人の住んでいたホータンという地域から出土した仏像はかなりソグド人と似た顔をしています。同じ地域から出土した板絵の仏像画もよく似ています。ガンダーラ仏とは違いますが、それでもアーリア系の顔をしています。

 ところが新疆ウイグル地区あたりから出土する仏像の顔は大分違います。アジア系の混ざった顔つきになっています。

③ 南伝仏教の地域

 ここまでは、ガンダーラからヒマラヤ山脈の北を通って中央アジアや中国に広がった仏教について話してきました。これを大乗仏教とか北伝仏教とかいいます。

 他方、インドを南下してスリランカから東南アジア、中国南部(揚子江流域)に伝わったのを南伝仏教といいます。遺跡でいうと、インドネシアのボロブドゥール(8~9世紀)、ミャンマーのパガン(11~13世紀)、カンボジアのアンコールワット(12世紀)、タイのアユタヤ(14~18世紀)、スコータイ(13~16世紀)などが残っています。

 この地域の仏像を見ていきましょう。7世紀唐代の十一面観音立像(東京国立博物館)を見ると、非常に繊細な美しい像ですが、お顔は非常に彫りが深く、大きな目に特徴があります。南インドあるいは東南アジアの顔に近いと思います。この仏像を基にして100~150年後に日本で十一面観音立像(京都府 海住山寺)が作られています。顔がだいぶ変わって日本人の顔に近くなっています。またスコータイの仏頭やアユタヤの白い仏像を見ると、タイ人の顔と大分似ています。同じように、カンボジアのバイヨン寺院の仏頭のお顔はカンボジア人に似ています。

④ 中国・朝鮮・日本

 次に、日本に仏教を伝えた中国と朝鮮半島を見ていきましょう。中国は『三国志』にみられるように、昔から3つの地域に分かれていました。黄河流域の魏(現在の河北省・山西省・内蒙古など)、長江流域の呉(現在の江蘇省など)、長江上流の蜀(現在の四川省・湖北省など)です。それぞれ気候風土に違いがあり、民族も若干異なっています。

仏像で見ると、6~7世紀の隋の時代に作られた観音菩薩立像(堺市博物館)、7世紀盛唐時代の龍門石窟奉先寺洞の盧舍那仏坐像や菩薩立像、5世紀北魏時代の雲崗石窟の石仏群などが挙げられます。先程申し上げたように、典型的なモンゴロイド系の顔になっています。

 朝鮮半島は、三韓時代、三国時代、統一王朝時代という3つの大きな時代に分かれますが、高句麗、新羅、百済、伽耶などのいくつかの民族や王朝があり、それが李氏朝鮮の時代に統一されたということができます。

日本には高句麗の方から仏教文化が入っていますが、高麗壁画を見ると、日本の高松塚古墳の壁画の人物像の顔と大変よく似ています。新羅で作られた弥勒菩薩半跏像とほとんどうり二つの仏像が日本の広隆寺の弥勒菩薩半跏像です。この二つをよく見ると若干顔つきが異なっています。新羅のはやや目が吊り上がっていますが、広隆寺のは穏やかな顔つきになっています。だから後者は日本で作られたと考えられていた時代がありますが、実際は幕末から明治の初めに日本で大幅に修理・変更されて日本風の顔つきにされたものです。もともとは同じ飛鳥時代の法隆寺の救世観音のようなお顔ではなかったかと考えられています。面長で、杏仁形というアーモンド様の目をしていて、上まぶたと下まぶたがカーブし、口元が微笑んでいます。法隆寺金堂の釈迦三尊像も同じ特徴をもっており、これは飛鳥時代の仏像の特徴といわれています。朝鮮半島の新羅の影響を受けているといえます。

 ところが、新羅が朝鮮半島を統一し、日本と交流のあった百済が滅亡したために、日本は朝鮮半島との関係が途絶え、大陸の唐と直接交渉をもつようになります。それが7世紀の白鳳時代です。この時代の典型的な仏像が、旧山田寺講堂本尊の銅造仏頭(興福寺)、橘夫人稔持仏の金銅阿弥陀三尊像(法隆寺)、薬師寺金堂の薬師如来坐像、蟹満寺の釈迦如来坐像などです。前時代のような面長の顔で

はなく、ぷっくりした大きなお顔になっています。

 次の天平時代(8世紀)-聖武天皇と孝謙天皇の御代でその後孝謙天皇が重祚して称徳天皇-になりますと、白鳳時代の顔を引き継ぎながら少し変わってきます。典型は、聖林寺の十一面観音、滋賀県の観音寺の十一面観音立像、葛井寺の千手観音坐像などです。私の作品で、この時代に暗躍した弓削の道鏡の像があります(図5)。天平時代の顔の特徴を反映させています。

 天平時代末になると、また少し変わってきます。鑑真和尚が渡来し、中国江南の彫刻技術を伝えました。この時代の代表的な作品が京都の東寺の兜跋毘沙門天です。非常に素晴らしい像ですが、この腰の高さからみて、恐らく日本人ではなく唐の時代のソグド系あるいはアーリア系の工人が作ったのだろうと思います。滋賀の向源寺の十一面観音立像も異国的なお顔をしています。額から鼻にかけてのラインが非常に美しい像です。東寺講堂の梵天像も日本人が作った仏像とは全く違う顔をしています。恐らく弘法大師が連れてきた西域系の仏師の末裔が日本で作ったものだろうと思います。

 

図5 弓削の道鏡


 それからさらに時代が下り、山形の立石寺、岩手の黒石寺、福島の勝常寺の仏像(いずれも9世紀)、京都の岩船寺の仏像(10世紀)、平等院の阿弥陀如来坐像(11世紀)などを見ると、大分日本風になってきたことが分かります。日本人が作った典型的な日本の仏像の顔だといえます。

 

 以上、芸術作品においては、作った人と作られた物というのはこのように似てくるというお話をさせていただきました。

ー質疑応答ー

質問1:先生が仏像に関わる職業を選んだ理由は何でしょうか?

籔内先生:正直に申し上げて大変志の低い理由です。大学・大学院時代に創作彫刻をやっておりましたが、それで「食べていける」とはとても思えませんでした。そこで仏像の修理をしている研究室に入ったんです。お恥ずかしいことですが、「仏像に目覚めた」というようなことではなく、「食べるために」仏像の世界に入りました。しかしお陰様で大変幸せな人生を送らせていただいています。仏像のおかげだと考えております。

 

質問2:先生は「顔」に非常に興味を持たれていらっしゃるようですが、その理由は何でしょうか?

籔内先生:信仰の対象である仏像や神像にとって絶対に必要なものが顔です。顔のない仏像、顔のない神像には皆手を合わせません。明治初年に廃仏毀釈運動があり、アフガニスタンでもタリバンが仏像破壊をしましたが、全部首を落としたり、顔を壊したりしました。仏像を作る側としても、やはり顔に一番力を入れて作ります。それが顔に興味を持つきっかけだったと思います。

 

質問3:なぜ仏像が作る人に似るのかという理由・背景について、何かわかっていることや先生のお考えを聞かせてください。

籔内先生:私が作る作品について、誰もが私に「似ている」と言います。自分をモデルにしているつもりは全くありませんし、また私は自分の顔が嫌いであまり鏡を見ることもないので、似る理由が分かりません。人によっては私の後ろ姿に似ているという人もいて、自分で見たこともない後ろ姿が似るのは訳が分かりません。陶芸家の人が作った徳利がその人に似ているということもあります。よく分かりませんが、造形物とは、何らかの形で自分自身が投影するというもののようです。

 

質問4:毎日仏壇の仏像を拝んでいると、優しい顔に見えたり、怒ったような顔に見えたりすることがあるのですが、仏像は見方によって全く違って見えるように作られているものなのでしょうか?

籔内先生:比較的よく聞かれる質問です。仏像というのは鏡であって、見る人のそのときの気持ちが仏像の顔に反映されるのではないでしょうかとお答えしています。 

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