春日武彦「ストレスを手なずける――コロナ・個人的悩み・メイクセラピー」

第1回「顔と心と体セミナー」講演録

2020年10月5日

参加者:37名(会場8名、オンライン29名)(1級資格者4名、3級資格者8名、4級資格者7名、当会正会員12名、一般5名、顧問1名)

【経歴】

1951年、京都府生まれ。医学博士。日本医科大学卒業後、同大産婦人科医を経て精神科勤務。現在は成仁病院・名誉院長。

著書に『心という不思議』、『不幸になりたがる人たち』、『援助者必携はじめての精神科』、『老いへの不安』など、専門書・一般書ともに多数。

『緘黙』『様子を見ましょう、死が訪れるまで』など近年は小説も手がけている。

【講演録】

1.ストレスとは

 私のような精神科医やメイクセラピーを提供する人達に共通しているのは、対象者が何らかのストレスを抱えていること、彼らがストレスに対処するのを援助する立場にあることである。また我々自身も様々なストレスを抱えている。このようなストレスをどのように扱ったらよいのだろうか。

 まず、ストレスとは何か?

 それは、嫌なこと、心の重荷になること、つらいこと、それらすべてである。ただし、人によって何がストレスになるかは異なる。ある人にとってストレスになることが、他の人にとっては何でもないということは、よくあることだ。

 また、ストレスが常に自覚できるとは限らない。

 自分では気がつかないが、知らないうちにストレスを抱えているというようなこともある。

 ストレスは常に悪いものとは限らない。例えば、試験前には誰でもストレスを感じるだろうが、合格してしまえば達成感を味あわせてくれる。

2.ストレスに対する8つの対処法

 ストレスの対処法には以下の8つがある。

① 原因を解決する、取り除く

 ストレス対処法の1番目は、原因を解決する、あるいは取り除くことである。しかし、それが簡単にできるなら苦労はない。

 世の中には、解決できないこと、取り除けないことが満ち溢れている。それでも、原因の解決に対して中途半端な態度で臨まないことが大切である。そのような態度でいると「なんで自分ばかりこんな目に合うんだ」というような被害者意識を持ったりするので要注意である。また、状況を客観視するプロセス、すなわち問題を解決できなくても「しようがない」「そんなものだ」とドライに割り切れる態度が重要である。

② 我慢する、諦める

 残念ながら、我慢したり諦めたりしなければならないことは多い。ただ、この場合、ひとりで我慢するのと、みんなで我慢するのでは大きな違いがある。援助者の立場で言うと、悩んでいる本人を孤立させない、孤独感を感じさせないのが重要である。例えば、メイクセラピーを受けに来る人は何らかの悩みや苦しみを抱えているが、本人が決意してセラピストの前に来たということは、それだけでもう孤独ではなくなっているということである。セラピストとして、そのことを高く評価していることを本人に伝えるべきである。

 また、できるだけ愚痴はこぼした方がいい。それによって、前述した被害者意識に陥るのを防ぐことができる。

 アイデンティティ(=自分らしさ)を持つことも重要。それもポジティブなアイデンティティを持つべきである。人には、例えば自分は運が悪い、嫌われ者だというような妙なアイデンティティを持つ傾向があるので注意を要する。

③ 目先の憂さ晴らしで自分を誤魔化す

 例えば、人をいじめるとか、クレーマーになるとか、SNSで炎上させるとか、それに便乗するなどのことは、憂さ晴らしにはなる。しかし、不健康な憂さ晴らしは、よい結果を生まない。人を傷つけるような形でする憂さ晴らしは、結局、むなしさや自己嫌悪となって自分に返ってくる。

 

④ 八つ当たりする

 これも目先の憂さ晴らしのひとつ。しかし、前述のように、この八つ当たりも自己嫌悪とかむなしさにつながったり、あるいは八つ当たりしながら「誰も私を分かってくれない」という孤独感を生むこともある。

自分自身への八つ当たりが自傷行為だと言えなくもない。リストカットやオーバードース(薬のまとめ飲み)のようなものは、自分自身への八つ当たりであると同時に、まわりの人間がどのくらい自分のことを心配してくれるのか確かめたくてやっているという部分もある。だから繰り返すことにもなる。

⑤ 誰かに泣きつく、相談する

 この行為には意味がある。カウンセリングにつながるところがある。

 本人が孤独でいると、考えがおかしな方向に向かうことが多い。悩みに悩んで自殺などというのは、本人としては論理的に考えたつもりでも、結果的には間違った方向に進んでいる。誰かに話をして孤独から脱することによって、ふと我に返るということもある。

 ここでは言語化というプロセスが重要な意味を持つ。誰かに話す(伝える)ためには、自分の心の中でわだかまっているつらさ、なんか嫌だなと感じるもの、むかつくもの、そのようなモヤモヤしたものを相手にわかるように説明しなければならない。そのためには、自分のつらさについて、時系列的に、何がきっかけで、どのようにしてつらくなって、今自分がどれだけつらいかを整理しなければならない。自分の心の中にわだかまっているモヤモヤしたものに言葉を与えて表現するということをしなければならない。言葉を与えないと具体的に扱えないし、客観視できない。その意味で、言葉を操る能力や語彙の豊富さは重要で、それらの能力は生きることのつらさを和らげてくれることがある。

 自分の心の悩みを言語化して相手に伝える。実はそれだけで人はかなり楽になれる。なぜなら、言語化、すなわちモヤモヤした曖昧なものを言葉で表現することによって、それを客観視することができるようになり、それを解決しようとしたり諦めたりなど、それに立ち向かうことができるようになるからだ。

 さらに、しゃべること自体に、それによって気分が軽くなるという効果がある。例えば、職場の仲間と酒を飲みに行って嫌いな上司の悪口を言い合う。それが何か具体的な解決につながらなくても、自分のむかついていた気持ちを言葉にして吐き出し、相手もそうだと言ってくれるだけで、人は救われる部分がある。

 

 実はこれはカウンセリングに通じるものなのである。カウンセリングで重要なことは、いかに相手をしゃべらせて、それをいかに真剣に聞くかということである。そこでは、無理に何か助言をしようなどと思わない方がいい。聞きっ放しになったとしても、本人は話を真剣に聞いてもらったということだけで癒されるし、言語化することによって本人がどこか腑に落ちるところを見つけて、自分で自分を救い出していくようなところがある。

 従って、聞き上手になることが重要である。真剣に話を聞いていますよという態度を示すことが重要なのである。そのためには、上手に相づちを打つことが必要である。上手な相づちの打ち方とは、例えば、相手が話の中で自分の感情を表わしている言葉を繰り返すこと。「悲しくなったんですね」「むかついたんですね」などである。

 このような相づちの効果はふたつある。ひとつは、相手の言葉をそのまま使うことによって、「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」という態度を示すことができる。もうひとつは、カウンセリングでは、聞く側の方が、聞くという態度をとらない限り会話が成り立たないという意味で立場が上なのだが、相手の言葉を繰り返すことによって、聞く側が話す側の立場まで下りてきてくれると感じさせることができる。

 そして話を終わるときには、「よくお話ししてくれましたね、こういうふうに話してくれることが、あなたが今の苦しみから脱出する第一歩だと思います」というように、自分に話してくれたことを評価するという言葉で終わるのがよい。

⑥ 宗教

 ストレスへの対処法の6番目は宗教。

 宗教は、大いなる存在を介して自分を客観視する、あるいは苦しみを試練と読み換えることによって乗り切るというようなことが期待できるかもしれない。

 

⑦ 病気になる

 人は曖昧な状態にいるのに堪えられないという性質を持っている。そこで、病気であることも、ひとつの具体的な状態として解決策であり得る。

 精神科医の立場で言うと、心の病というのは、実は治せばいいというものでもない。心を患っていると言えることが本人の救いになっているということもある。例えば、神経症の患者の多くは、薬やコンサルティングである程度のところまでは非常にスムーズに治療が進んでいく。ところが、そろそろ職場復帰もできるかなというところまで来ると、急に改善スピードが鈍ってくる。こういうときに、焦って社会復帰させようとすると、本人は急に具合が悪くなる。本人の最終的な気持ちの整理がついていないからである。そこで医者としては、「もう少し付き合って治療させてください」と言ってあげる。それは、「あなたはまだ職場復帰できるほどよくなったと自分で思っていないわけですね」という意思表示であり、本人が「職場復帰のための気持ちの整理がつくまで患者として扱ってほしい」と望んでいる気持ちを汲んでいるのである。そのようにすることによって、相手の立場、自尊心を尊重することができる。このことは、本人が立ち直るについて非常に重要なことである。病気にすがるということが、ある面で非常に大切なことでもあるということが理解できると思う。

 

⑧ 満足感・充実感・達成感でストレスを蹴散らす

 ストレス対処法の最後は、全く別な分野で、なんでもいいから満足感、充実感、達成感を感じてストレスを蹴散らすことである。どんな形であれ、何らかの満足感、充実感、達成感が得られれば、周囲を見渡す自分の目が変わり、自分に勇気を取り戻すことができる。また、それらは自己肯定感につながる。自己肯定感とは、「自分のやっていることはこれでいいんだ」という気持ちであり、そのように思うことができれば、人はかなり楽になれる。

 人生で一番つらいのは、どう頑張ったらいいかわからないという状態である。頑張る方法がわかっていて自分の頑張りが足りないというのは、悪い状態ではない。どう頑張っていいかわからないが、あきらめられないというのが、一番つらいはずなのである。

 自分のやっていることは全くとんちんかんかもしれない、ものすごい効率の悪いことかもしれない、無意味なことかもしれない、もしかしたら逆効果かもしれない。こういう「中腰」の状態で頑張らなければならない。こういうとき、成功体験があり、したがって自己肯定感の高い人は頑張れる。だから結果としてうまくいく可能性が高い。自己肯定感の低い人は、「また失敗するかもしれない」という気持ちになるから、やっぱり失敗する。だから、どんな小さなことでも成功体験があり、充実感を持つことが必要なのである。

 精神科医として患者にアドバイスするときに、部屋の片づけを勧める。自己肯定感が低くて、エネルギーが落ちて、投げやりになっている人は、部屋の片付けもできない。部屋の片付けができて、せいせいして、仕事の効率が上がる。そういう成功体験が重要なのである。

 メイクセラピーの場合も同じようなことが言える。メイクセラピーを求めてセラピストの前に来る人達も、外観あるいはメンタル面でどこかに問題を抱えている。その外観が実際に少しでも改善し、あるいは自分の問題をセラピストに話すことができれば、その人達は大きな一歩を踏み出すことができる。そういう点で、セラピストはカウンセラーとしての役割を果たし得るということになる。

 

3.まとめ

 ストレスの対処法を8つ挙げた。大体これがすべてだろうと思う。その中で重要なのは、言語化、成功体験、自己肯定感ということになると思う。

 最終的な落としどころとして、「苦笑いができる」ことを目指すのが重要である。今の苦しい、嫌な現状をとりあえず「苦笑い」しながら受け止める。言い換えると、現状の解決をあきらめるのではなく、問題を現実として受け止めつつ、他方で自分を冷静に客観的に眺めて、好奇心やユーモアで自分を支えながら、じっくりと改善の機会をうかがう。その状態は、具体的な解決策にはなっていないかもしれないが、現状に対する気持ちの持ち方が全く異なる。「苦笑いできるようになる」ということが、ストレス対処におけるひとつの目標なのである。

 世の中には、「こうすれば絶対うまくいく」というような方法があることは少ない。ストレスを手なずける方法も同じで、「これで絶対対処できる」という方法はない。しかし、どのような方法があるかという全体像をつかんでおくことは大切で、状況に応じてその中からいろいろなことを試していけばいいのではないか。それが解決になると思っている。

 

【質疑応答】

Q1.日本人は自己肯定感が低いと言われるが、日本の風土や文化が関係しているのか?

春日:日本では自己肯定感にあふれている者は、ナルシストとか、恥知らずで図々しいヤツとか、驕り高ぶって調子づいているなどと思われがちである。そういう面では、確かに日本の風土や文化が関係していると思う。ただ、外国との交流の中で、世代を追って少しずつ変わってきていると思う。

 

Q2.甘い物好きなので、ストレスがたまると、無駄にたくさん買ったり、食べ過ぎたりしてしまう。そういう金遣いや食べ過ぎがまたストレスになったりするが、どうすればいいのか?

春日:よくありがちなことだ。しかし、そういうことにあまりストイックにならない方がいい。例えば、自分の収入に見合わない買物を繰り返すなど、通常の生活を維持できなくなるような、非常識な状態は避けなければならない。しかし、自分で決めた一定の良識的な限度を守れるのであれば、その範囲内で羽目を外すのは、むしろ「必要経費」と割り切った方がいい。あまりにも自分の欲求を抑え込み過ぎると、何が楽しみで生きているのかわからなくなる。

 

Q3.ある行為に自分で達成感を感じるだけでなく、他人もその行為を評価してくれたときに、より自己肯定感が上がると思う。しかし現実には、自分の自己評価と他人の評価が一致せず、それ故に承認欲求が満たされず、頑張ろうとする心が折れそうになることもある。こんなときはどうすればいいのか?

春日:確かに自分の満足感と他人の評価が一致しないことは少なからずある。それを一致させるというのはかなりの困難を伴う。そこが多分、人生で一番つらいところなのだと思う。自己評価と他者評価の差をどう埋めるか。その差をどうとらえるか。それを考えることが、多分「生きる」ということそのものなのだろう。それを一生の課題として楽しみながらやっていくという態度が必要なのかもしれない。

 

TOPへ戻る

Copyright (C)2021 公益社団法人 顔と心と体研究会 All Rights Reserved.